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私が小学生のころ、国語の授業といえば、「読み」「書き」が中心でした。
「話す」「聞く」訓練をした記憶はほとんどありません。 一方アメリカでは、自分の考えを伝える力、表現する力を小さいころから教育されると聞きます。 日本に比べて、「読み」「書き」よりも「話す」「聞く」に重心があると言えるかもしれません。 もちろん、最近は日本の教育でもプレゼンテーションというものが重視され始めたように聞きます。 しかし、日本とアメリカでは、根本的な違いがあるように思います。 もっとも大きいのは、文化の多様性 日本の場合、小学校の同じクラスに外国人がいることはほとんどないでしょう。だから、みんな大体考えることは同じ。価値観も同じ。話さなくてもわかる。言わずが花と言ったりもします。 ところがアメリカをはじめ、諸外国ではそうではない国が多々あります。 そうなると、どういう違いが生まれるでしょうか? もっとも大きな違いは、異文化コミュニケーション(どこかの英会話学校みたいですが)に必要とされる説明力の優劣でしょう。 異なる価値観やバックグランドを持った人と話をし、心を通わせるのは容易ではありません。日本では、そのような能力を鍛える機会に乏しい。 また、もうひとつ大きいのは、漢字の存在 常用漢字は2,000字もあります。この漢字をマスターするだけで、義務教育の限られた時間の多くを費やさなくてはなりません。もちろん、「読む」「書く」が中心にならざるを得ない。 この2つの違いが、コミュニケーションのあり方のみならず、仕事の進め方に至るまで、大きな違いを生み出しているのではないかと思うのです。次回以降、もう少し詳細に解説させてください。 (つづく) (本記事に関するコメント、ご質問は大歓迎です!)
by shinya_fujimura
| 2010-04-27 23:30
| 多事奏論
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