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ふとしたことがきっかけで、西郷隆盛と西南戦争について考える機会があった。
維新の志士として日本の改革に貢献した西郷隆盛は、皆さんご存じのとおり、征韓論を主張。大久保利通ほか、欧米を自らの目で直に見てきた明治政府の要人たちは、富国強兵を主張し、征韓論に反対した。西郷隆盛はついに、不平を持った士族の味方をして明治政府に対して戦争を起こす。それが西南戦争だ。 西郷隆盛のような葛藤を、私はこんな言葉で表現してみたい。 政の「理」 と 民の「情」 明治政府の方針とそれに不満を持った士族。そして士族を束ねた西郷。 それはまさに、政府の「理」と民衆(士族)の「情」の対立下での葛藤ではなかっただろうか。 実は私たちも、同じ状況に直面している。それは、 除染だ。 除染を1ミリシーベルト/年以上の土地すべての施すという案は、科学的・合理的に考えれば、効果が定かではない。医学的には、100ミリシーベルト以上の場合しか統計的証拠がないとされているからだ。しかも100兆円規模のお金がかかるとの試算もある。政府の「理」で考えれば、現状の策は不合理に見える。 しかし一方で誰だって「ふるさとに帰りたい」はずだ。私だって、故郷の松山がこのような状況になったとしたら、効果など考えずに、手当たり次第元の状態に戻したいと思うだろう。それが一市民の「情」というもんだ。それは「理」から導かれるものではないのではないか。 私は福島に行ってみることにした。 除染ボランティアに参加する。 東京にいると「理」がちになる自分を、もう一度揺さぶってみよう。 #
by shinya_fujimura
| 2011-10-14 12:02
| 多事奏論
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