ボストン留学記


ケネディスクール留学を終えた筆者が新しい挑戦を始めます。
by shinya_fujimura
最新の記事
カテゴリ
以前の記事
その他のジャンル
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧

<   2011年 07月 ( 14 )   > この月の画像一覧


戦略系経営コンサルティングと教育

経営コンサルティングというのは不思議な職業です。
同じ「経営コンサルタント」と名乗る人たちでも、そのサービス内容は様々だからです。

①自らの経験に基づいてアドバイスをする年輩の方。
②工場勤務経験を生かして改善のアドバイスをする方。
③シンクタンク機能を生かしてレポートを作成する会社。
④ITを生かして特に業務プロセス改善を手掛ける会社。
⑤そして、「戦略系」を名乗って種種の経営課題を分析、提言を行う会社。

私は最後の「戦略系」コンサルティングファームで働いていました。
しかし一口に「戦略系」と言っても、会社によってカラーがあります。

例えば多くの方はご存知のように、ボストン・コンサルティンググループ(BCG)は、
創立者のブルース・ヘンダーソン以来の伝統で、経営者の方々に対して
斬新なコンセプトを提供することをミッションとしています。

1960年代、ブルース・ヘンダーソンは経営に「科学」あるいは「分析」の要素を持ち込みました。それまでもテイラーの科学的管理法のような形で経営に「科学」は入りこんでいましたが、それはあくまで工場の能率改善が目的であって、会社全体の方向性を「分析」して決定するというような事はブルース・ヘンダーソン以前には行われていなかったようです。すなわち、それまではアメリカも①や②のケースがほとんどだったということです。

戦略系経営コンサルティングの歴史の解説はまたの機会に譲るとして、この「分析」はどういう意味をもったでしょうか。

それは、

未知の世界に挑む知的技法

と言えるのではないでしょうか。すなわち、

誰も経験したことのない世界を、考え抜くことによって恐怖を取り払い、学習の速度を高めて走り抜き、成功に到達する

その確率を高めるための手法と言えるように思います。

そしてそれは、いま課題先進国と言われる日本において、まさに必要とされている手法ではないでしょうか。

そうだとすれば、その手法を経営のみならず、人生にも適用する方法が求められていると言えるかもしれません。
[PR]

by shinya_fujimura | 2011-07-25 06:29 | 人づくり試論

レディ・ガガ流教育

先日、レディ・ガガの Born This Way の歌詞を初めて見ました。

Don’t hide yourself in regret
Just love yourself and you’re set
I’m on the right track baby
I was born this way

後悔して自分の殻に閉じこもらないで
自分自身を愛すれば、それで大丈夫
私は正しい道を歩んでいる
私はこう生まれてくる運命だったんだ
(拙訳)

彼女が言うと、説得力があります。
自分の持って生まれた個性を存分に発揮して、自分を力いっぱい表現して生きる、それ以上の幸せはないかもしれません。

この歌詞を読んだとき、「五体不満足」で有名な乙武さんのツイッターでのつぶやきを思い出しました。それはこんな趣旨でした。

僕は学校の先生をしていたころ、生徒の個性を伸ばすことが教育だと思っていた。でも橋本府知事が規律に合わせることが教育だというのを聞いて、自分も葛藤していたのを思い出した。

個性と規律


どちらが教育の目的かは、難しいところです。
もちろん絶対的な答えはないでしょうし、人それぞれ考えは分かれるところでしょう。

能で有名な世阿弥の「風姿花伝」にはこんな言葉が出てきます。

守破離

誤解を恐れず簡潔にいえば、まずは基本を身につけ、次第に殻を破り躍進し、最後は自由闊達に活動してもノリを超えることがない、そういう状況を物語っているようです。

もちろんこれも一つの考え方ですが、この考え方に則るのであれば、まずは規律、その後に個性を伸ばすという解釈になるかもしれません。

個性と規律はどちらか一方でも不十分な気がします。私自身はいまのところ個性を大切にしたいと思いつつも、守破離の教えがしっくりきます。それはもしかしたら、相手の年齢によっても変わってくるものなのかもしれません。
[PR]

by shinya_fujimura | 2011-07-21 10:05 | 人づくり試論

グローバル人材=リーダーシップ?

「グローバル人材」という言葉は1-2年ほど前からよく聞かれるようになりました。
それに合わせて各地でセミナーが開催されており、「グローバル人材」という言葉にも各人各様の定義づけがなされているようです。私も最近、グローバル人材セミナーに顔を出しています。その中で印象に残っていることをご紹介します。今回は、GEエナジー パワージェネレーションのアジアパシフィックジェネラルマネージャー、堀江 渉氏の言葉を少し引用させて頂きます。

ある方は、「グローバル人材」とはリーダーシップを取れる人材のことだとおっしゃっていました。これ自体、異論反論ある方もいらっしゃるかもしれません。私個人も、一日本人として「グローバル人材」=「リーダーシップ」という言葉を聞くと、どことなく違和感を覚えていたでしょう。ただ、それは私が「リーダーシップ」という言葉の意味を正しく理解していなかったからなのかもしれません

5月まで私が在籍していたケネディスクールというところは、leaders in public service (公共分野におけるリーダー)の育成をミッションとしています。つまりはリーダーシップ教育ということかもしれません。ただ、私が留学生活の間に感じ取ったのは、「リーダーシップ教育」=「人間教育」ではないかということでした。なぜなら「リーダーシップ教育」を分解していくと、その中には「主体性」や「チームワーク」、「コミュニケーション能力」といった「社会人基礎力」あるいは「人間力」に属するようなものがふんだんに含まれていたからです。以上の前提に立って考えれば、「グローバル人材」=「リーダーシップ」というのも、強ち納得のいかない話ではないように思えてきます。

では、以上を前提として、先のセミナーで印象に残った言葉をいくつかご紹介しましょう。

好かれなくてもいい、が、信頼・尊敬されなければならない

異文化出身の親友を作るのは、そんなに簡単ではないでしょう。仕事が絡んでいるとなれば尚更です。だからこそ、この言葉には重みがあります。親友になるのが難しいとしても、仕事上の信頼・尊敬を得ることはできるということです。だからこそ、友達になれないからといって変に悩みすぎるのではなく、まずは仕事を頑張れというメッセージなのでしょう。

学習能力は成長する能力

これは変化の速い時代を象徴するかのような言葉です。環境はめまぐるしく変わります。だからこそ、学習を続けなければならない。そのような時代においては、学習を続けられるかどうか、それ自体が能力だというのです。

計算されたリスクのとり方を知る。自分の限界を知る

変化の目まぐるしい時代においては、やってみなければわからないことが多々あります。したがって挑戦は必要ですし、リスクをとることは必要です。ただ、自分の限界を知らなければ、無謀なリスクをとることになります。無謀なリスクをとること自体が絶対的に悪いという訳ではないかもしれませんが、それが時には致命的なダメージとなったり、あるいは失敗からの学ぶが少なくなったりするでしょう。だからこそ、自分の限界を知った上でリスクをとる必要があるのではないでしょうか。

どれも一見「グローバル人材」の素養ではないようにも思えますが、よくよく考えてみると、「グローバル化」という時代に必須の素養とも思えます。

色々と学びのあるセミナーでした。
[PR]

by shinya_fujimura | 2011-07-19 15:53 | 人づくり試論

人を育てる情熱を持とう

人を育てようという情熱を持った人に、惹かれる

最近、そんな自分を自覚するようになってきた。いままで惹かれなかったという訳ではない。単に、自分がどういう人に惹かれるのか、自覚がなかったということだ。

例えば私は、不良たちが情熱ある教師に導かれて甲子園を目指すという森田まさのり氏の大ヒット漫画、ROOKIESに惹かれる。というより、その主人公である川藤に惹かれる。その人柄に惹かれる。

思い起こせば高校生の頃、自分にも甲子園の夢を見させてくれた恩師がいた。その恩師たちは今でも高校野球の指導者をしている。平日はもちろん、土日も、来る日も来る日も野球ばかり。恩師たちは常に私たちと共にあった。当時の自分にとっては極めて普通のことだったのだが、今こうして大人になって振り返ってみると、それがいかに自己犠牲のもとに成り立っていたかを感じる。今の自分に同じ生活ができるだろうか。自信がない。

そんなこと考えたこともなかった自分は、恩師に対して言いたい放題、言いたいことを言っていた。自分は何も分かっていなかったのではないか

今では野球部の後輩の中にも、野球部の監督となって甲子園を目指している者がいる。その高校は今年の夏、愛媛の優勝候補。甲子園は決して「夢」ではない。自分には「夢」だったけど、彼には「夢」ではない。きっと彼はそのことを、野球部員たちに伝えているはずだ。

人を育てようという情熱は、こうして語り継がれるのだろう。
そして、語り継いだ者がまた、人を育てていくのだろう


人を育てる情熱をもった人は、魅力的だ。
[PR]

by shinya_fujimura | 2011-07-14 17:01 | 人づくり試論

若者に夢を与えるオヤジ

若さは大事だ

と思うことが、最近多い。

理由はいくつもある。

例えば、若い人はいろんな可能性を見ている。
それはもちろん、自身の将来の可能性が開かれていることと無関係ではない。自分の将来にいろんな可能性を見出すことができるのは、いつの時代でも若者の特権だ。

ただ、ここで言う「若さ」は必ずしも実年齢を意味しない。むしろそれは、精神的な「若さ」だ

昨日、前職でお世話になった先輩にお会いした。その先輩は39歳。お子さんもいらっしゃる。MBA留学を経て数年前に中国でベンチャーを始めた。いまも拠点は上海。たまたま東京にいらっしゃったということで久しぶりにお会いした。

そしたらなんと、新しい名刺を渡された。

また「起業」したのだ

日本人の基準からするとかなり型破りな、破天荒な人だ。39歳で子供もいて、これだけのリスクが取れる日本人はそうそう見当たらない。そんな先輩が、私は大好きでもある。

もちろん背後には、後輩には口が裂けても言えない苦労や涙話もあるのかもしれない。しかし彼の背中を見て何も感じない若者はいないだろう。何も感じないとしたら、それこそ自分が精神的に加齢した証拠なのかもしれない。

私は何も、起業を勧めるつもりはない。30代も後半、さらに家族もいるとなれば、起業は勧められない。起業でなくとも良い。私が言いたいのは、

若者に夢を与えるオヤジになりたいし、なりましょうということなのだ

別に難しいことではない。誰だって、自分の子供、もしくは身近な子供・若者に対して夢を与えられるはずだ。でもそのためには、「若さ」が必要かもしれない

そんなオヤジが増殖すれば、日本はもっともっと楽しい国になるに違いない。そんな気がした。
[PR]

by shinya_fujimura | 2011-07-13 17:32 | 人づくり試論

大学を安くできないか?

今週号のEconomistに、こんな記事がありました。

How to make college cheaper
どうやって大学を安くするか


アメリカでは大学の学費の高騰が社会問題になっています。
ちなみに私の通っていたケネディスクールは年間約3万ドル(約240万円、1ドル=80円)。医学部等理系大学院ならともかく(それでも日本より高いイメージですが)、お金のかからなさそうな文系大学院でもこれですから、驚きます。

記事によれば、過去30年間の学費上昇率は、インフレ、すなわち物価上昇率の5倍跳ね上がっているのだそうです。これはゆゆしき問題です。大学教育を受ける権利が、相応の能力と意思を有する人に等しく提供されているとは言い難いからです。

では、学費は安くできないのでしょうか?

そんな疑問に対して、オクラホマ州立大学の Vance Fried 教授がコスト削減策を提案しています。その内容は、

① 教育費と研究費を分けること。学部の学費が研究費に使用されるべき理由はない
② 先生1人当たりの生徒数を増やすこと(MBAやロースクールは増やしても成功している)
③ 受講学生数の少ない科目は統廃合すること
④ 生徒1人当たりの管理コストを削減すること(例えば、心理カウンセラーを雇ったりしない)

というもの。どれだけ実現可能かはわかりませんが、ある意味経営コンサル的な、非常に合理的な考え方です。

実は最近、ある元上司と大学経営について話をしました。その中でもディスカッションしたのは、アメリカ型の大学を単体の事業として成り立たせるのは可能か、ということでした。

あくまで一例ですが、例えばハーバード・ビジネススクールの収入のうち、学費はたった3分の1。後は出版(ケースの販売等)と寄付で3分の1ずつくらいのイメージなのだそうです。それでもそんなに利益が出ているわけではない。つまり、普通の会社として考えれば、寄付の分だけ赤字ということになります。ハーバード・ビジネススクールですらそうだとすると、いわんや他の大学をや、ということになりそうです。

もし、Fried 教授の施策を全部実現したとしたら(ハーバード・ビジネススクールはどれもそこそこ実践してそうな気がしますが)、どんな大学になるのでしょう。

それは例えば、就職や仕事に即役立つこと(すなわち③)を、マスプロ授業(すなわち②)で行い、研究やコストのかかる形での生徒のケアは一切行わない(すなわち①④)ような学校になるのでしょうか。

このことは、資本主義の論理にのせて学校を経営することがいかに難しいかを物語っているように思えます。利益を出そうとしたら、①~④を実践せざるを得ないでしょうから。

非営利的授業と営利的授業をミックスさせた、ハイブリッド・モデルは成立しえないのでしょうか?
[PR]

by shinya_fujimura | 2011-07-12 17:38 | 人づくり試論

「実」から始まる「魂」の人材育成

最近、私のアイディアについて色々な方にご意見を伺っています。その中で、複数の人が口をそろえて教えてくれたことがあります。

仮に「魂」の教育をするにしても、実社会の課題等、現実にイメージしやすいものとのつなげて考えた方が良い

ということです。

私がここで「魂」と言っているのは、思想や哲学、倫理及び世界観といったものの類です
たしかにこれらのものは一見とっつきにくく、科目名だけを見てもその内容がイメージしにくいものでしょう。

一例として「正義論」というようなものが考えられます。
マイケル・サンデル教授のおかげで多少は馴染みが出ているかもしれませんが、要は、公平・公正な社会のあり方はどういうものか?を問い詰めるものと言えるかもしれません。

ただ、その手の学問を学んだことがある人ならまだしも、そうでない人にとっては「正義論」とだけ言われてもチンプンカンプンでしょう。

ところが、例えば

震災復興に当たって、誰がどれだけの補償を受けるべきで、また誰がどれだけの財源をどれくらいの期間にわたって負担すべきか

というような問題設定になると、より現実感を持ってイメージできるのではないでしょうか。また、

そもそも被災していない日本人に、被災地のために補償金を支払う義務はあるのでしょうか。

という問題設定になると、一見答えは明確なように見えて、案外そうでもないということに気づきます。なぜなら、総論ではみんなの負担で助け合いましょうという意見がほぼコンセンサスとして形成されたとしても、必ずしも各論で「では私がいくらいくら負担します」という問題になってくると、喧々諤々の議論となることが必至と思えるからです。

また「みんなの負担」と言ったときに、「みんな」は誰までを指すのかが問題となります。例えばまだ生まれていない私たちの子孫も「みんな」に含まれるのでしょうか。すなわち、国債を乱発しても良いのでしょうか。

実はこういった諸問題をより掘り下げて原理・原則から論じようというのが正義論の一つの根幹とも言えるかもしれません。そうだとすれば、私たちの時代に何ら無関係な議論ではないはずです。

しかしこのような「魂」の教育を行うにしても、「実」世界とのつながりがなければ、なかなか興味も持てないし、身に付かないものでしょう。

「実」から始めてみる

そんな方向性を、少し模索してみようかと思います。
[PR]

by shinya_fujimura | 2011-07-11 19:52 | 人づくり試論

被災地・石巻で学んだこと

先日石巻でボランティアをしてきたのですが、いろいろと学びがありました。
今日はそのうちの一つについて書きたいと思います。

私がお世話になったボランティア組織では3~4人で一つのチームを組みます。それぞれのチームには「リーダー」と呼ばれる人がいるのですが、さらにそのリーダー数人を束ねる「リーダーのリーダー」と呼ばれる人がいます。私たちのチームもそういった人たちに導かれて仕事をしました。

私たちの「リーダーのリーダー」は、20歳あまりの大学生。海外留学をしているため現在は夏休みに当たり、里帰りとともに石巻に来て仕事をしているそうです。ボランティアを始めて三週間とのことでした。

私たちは初日、あるお宅のヘドロの掻きだしをお手伝いしました。そこで「リーダーのリーダー」が的確な指示を出します。もちろんチームの中では最年少。しかしすばらしいリーダーっぷりを発揮しています。私たちは彼の指揮のもと、二日間(正確には一日半)で割り当てられた仕事を終えることができました。

20歳、しかもメンバーはすべて年長者
大したものです。

私は思いました。

これは人間教育だ

私はかねてから教育においては「実践」をうまく組み入れることが重要だと思っていましたが、この経験を経て、さらに確信が強まりました。

一つの軸は「実践」

それをどう組み入れていくか。

しかも現実社会に貢献する形で

それが重要課題だと考えています。
[PR]

by shinya_fujimura | 2011-07-10 20:55 | 人づくり試論

文明未だ開花せず

私が現在認識している、日本の重要な社会課題の一つ。私はこれまでイギリス及びアメリカで、それぞれ1年学んだ経験があります。その中で感じたのは日英間、日米間における教育観の違いでした。

まず第一に、イギリスでもアメリカでも「自己の意見を確立すること」が非常に重要視されます。90年代にクリントン政権下で冷戦後の日米安全保障条約のビジョン策定を主導したジョセフ・ナイ教授は初回と最終回の授業ではっきりとこうおっしゃいました。

この授業の目的は、私の意見を伝えることではなく、あなたがたの意見の確立を手助けすることだ

私は大学を卒業してもう10年以上になりますが、少なくとも私が日本の大学にいたとき、このような言葉はあまり耳にしたことがありませんでした。教授が学生に教え諭し、先人の知恵を伝える、そういう風景が強烈な印象として残っています。

私は日本と英国もしくは米国のうち、いずれの教育が優れているなどというつもりはありません。おそらくは、時代や環境、個別事情等に適合した教育というものがあるでしょう。

いま日本は課題先進国ともいわれ、急速な少子高齢化と財政破綻の危機という、アメリカを含む先進国が直面したことのない構造的な問題に向き合わなくてはなりません。そこに輪をかけて震災が襲いました。このような時代には、自らの頭で考え自ら決断して行動し、その結果を自ら受け止めることができる、真に自立した人材の教育が必要なのではないでしょうか。過去に必ずしも答えは転がっていないのですから。

しかしながら前述の日本の教育状況に鑑みるに、日本では未だ個人の自主独立の精神が開花していないように思われます。すなわち、福沢諭吉先生が「文明論之概略」に述べられているような意味において、文明は未だ開花していないのです。

私はこのような課題認識の下、文明開化のための教育のあり方を探ってみたいと考えています。そしてそのような教育のあり方を実践したいと考えています。

千里の道も一歩から

この言葉が今ほど重く聞こえる日はなかったかもしれません。
[PR]

by shinya_fujimura | 2011-07-09 21:08 | 人づくり試論

「独立して良かった」と思えるように

ケネディスクールを卒業して以来、私は独立して活動している。

「独立して良かった」と思えること

それは、日々、様々な人に出会い、人に支えられて生きていると実感できることだ

私の場合、店舗を持って営業をしているわけではないため、人と会うためには自ら能動的に動かなくてはならない。しかし相手だって忙しい。サラリーマンなら尚更だ。それでも会えるようにするためには、まず第一に自由に動ける自分が動かなくてはならない。もちろん、それでも予定がかぶってしまったり、距離的に遠すぎて会えないこともある。しかし、独立して自由な身分の私は、自分の努力次第で、いろんな人と会える。人と会えるだけでもうれしいものだ。

サラリーマンとして会社に所属していると、朝起きて通勤電車に揺られて会社に着けば、人がいる。否が応でも人に会える。だから逆にいえば、人に会えることのありがたみを感じにくい。今考えると、そういうことだったんだ。

もう一つは、成果を噛みしめられること
そして、家族と一緒にいられること

あるとき会社の後輩の披露宴で、新婦がこんなことを言っていた。

「私の家は自営業でした。夕方になりお店を閉じると、家族みんなで晩御飯を食べます。そこでお父さんが毎日のように、『今日はこんなにも売り上げが上がったよ。お父さんがんばってるぞ!』と言うのを楽しみにしていました。そんな父の背中を見て育ちました。」

会社勤めが長くなると、給料をもらうことが当たり前になってくる。たいして働いていなくても、成果を出していなくても、給料をもらって当たり前と思うようになる。自分も例外ではなかった。でも、それは何か違う気がした。

家族で晩御飯

というのは、ある意味昭和の古き良き時代の象徴かもしれない。私の育った家もそうだった。夕方6時過ぎには必ず父親が家に帰ってきて、みんなで晩御飯を食べていた。東京ではそれは不可能に近い。しかし、自営業ならできるんだ。私が独立したいと思うに至ったのは、そういう理由も大きい。できるだけ家族のそばにいたいのだ。

独立は、決して楽な道ではない。独立したからと言って、家に帰れるとも限らない。むしろ帰れなくなる可能性だってある。でも、自分の人生の大事な時間、自分でコントロールしたい。大事な人とより長く深く付き合いたい。定年になるまでそれができないなんて、まっぴらだ。

独立

とは、私にとっては二重も三重も意味があることなんだと思う。

どんな決断もそれ自体で良い悪いが決まることは、実は少ないのかもしれない。
決断後の行動の方がよっぽど大事なのではないか。

独立して良かった

そんな生き方ができるよう、がんばろう。
[PR]

by shinya_fujimura | 2011-07-08 09:03 | 多事奏論